今日は、一日中風が強かった。

風が吹けば、桶屋が儲かる。

 

 

 

 

・草野球の少年の帽子が風に吹かれて飛んでった。
みんなで高いくさむら掻き分けて、ひざついて探した。

 

くさむらに、ぬかるみがあってうっかりハマった。

どろどろに汚れたユニフォームで帰ったらかあちゃんが怒った。
「だから母ちゃんがつけてやったゴム紐使えって言ったろ!」

 

怒った母ちゃんをなだめようと
父ちゃんがタオルをひょっとこ風に巻いて、桶を叩きながら踊った。
もっと怒ったかあちゃんが、桶を奪って手刀で叩き割った。
その日は晩飯抜きだった。

あくる日父ちゃんと新しい桶を買いに行った。
桶屋は銀歯を見せて笑った。
少年はなんだか、とてもみじめだった。


風が吹けば、桶屋が儲かる。

 

 


・強い向かい風だ。
どこかから飛んできた砂が目に入って痛い。

止まって目薬を差していたら
足元に桶が転がってきた。
「すみませーん、風で飛んじゃって」
かわいらしい若い女性が走ってきて謝る。

 

「いやあ、こんな風の強い日には飛びますよね、桶」
「ええ、困りますね」

 

「あの、随分と珍しい桶ですね、これ」
「そうなんです。駅前の桶屋で限定で扱ってて、衝動買いしちゃって」
楽しそうに話した後、はっとした顔をしてはにかんでみせる。
前歯の銀歯がきらりと光る。おや、と思った。
「あの、わたしったらこんなこと…すみません」
恥ずかしそうに手元の桶を覗き込んで「あっ」と声を上げる。

 

「タガが外れてる…」
「本当だ。これじゃ使えませんね」
「ええ…。でも仕方ないです…。
 じゃ、あの、すみません」
「ええ。」

 

用事を済ませた帰り、ふと思いついて駅前の桶屋に寄ってみる。
彼女が持っていた珍しい桶…これか。
ひとつ買ってみるか。

「兄さん、いい買い物したよ。これ一昨日入ったばっかりでよく売れてねえ」

と笑う桶屋の口元に銀歯が光る。
会計を済ませて出ようとしたところに、なんと
「あ、今朝の!」
と彼女が現れた。

 

「あ、どうも」
「買ったんですね、それ」
「はい、いいなと思って」
「わたしも、新しいのを買いに」
「そうでしたか」
「はい。じゃあ、どうも」

 

迷った末に声をかける。
「あの」
「はい?」
「よければこの後お茶でも」
瞬間彼女の顔がくもり、口がぎゅっとすぼまる。
「あー…。忙しいので、すみませんけど」

「そ、そうですか。すみませんでした」
「いえいえ、では」
「はい」
最後に見せた笑顔の口元に、ちらりと光る銀歯…


風が吹けば、桶屋が儲かる。

 

 


・春一番が吹いている。


今年は早咲きだった桜が散らないかどうか、なんとなく気持ちが落ち着かない。
帰りに「わたしの桜」に会いに行こう、と決める。
家の近くの公園に咲いている何本かの桜のうち、「わたしの桜」と決めた一本がある。

むかし尊敬していた人が
「自分の桜を決めて、毎年会いに行くといいよ。春を待つ気持ちが変わるから」
と教えてくれたことがあって、以来、毎年会いに行く、わたしの桜の木。

 

急いで帰ってみると、少しひんやりしている春の夜、月明かりに桜の花が光って見える。
花灯り…だったっけ。よかった、思ったほど散って居なくて。
胸をなでおろして、花を見上げて、ぼーっとする。

「花を見上げる」と言うだけで、なんとなく桜って感じがするな。
そういえば「花」って、春の季語だっけ。川柳だか、俳句だかなんだかの。

むかし授業で、習ったような。


前はちっとも、春が楽しくなかった。
お酒もきらいだし、飲んで騒いでる人たちもきらいだし、もやっとした天気もきらいだった。
冬の緊張がうまくほどけなくて、いつも憂鬱になってしまって。

 

わたしの桜を決めたころからか、少しずつ春の楽しみ方がわかるようになってきたのは。
春の楽しみがわかるようになってから、四季の移り変わりを味わえるようになった気もしている。


もう少しあったかくなったら、散歩がてらに銭湯に行こうかな。
桶に石鹸だのタオルだの詰めてさ。
あ、桶ないわ。買わなきゃ。


風が吹けば桶屋が儲かる?

 

 

 

 

・風が吹いた。
一郎が凧を持って走り、
次郎が糸を引く。
三郎がはやしたて、
四郎と五郎がそれを見ている。

 

強い一陣の風が、次郎の手から凧を奪って飛ばしてしまった。
怒る一郎、泣く次郎。
唖然とする三郎、
四郎と五郎がそれを見ている。

 

みんなでトボトボ帰る道。
怒る一郎、泣く次郎。
帰ってみんなでわあわあ、おっかあに言ったら
「明日新しい凧買っといで」って小遣いくれた。

 

次の日、新しい凧を買ったら、商店街の福引券をもらった。
福引をしたら、かっこいいTシャツが当たった。
「ぼくの!」「ぼくのだ!」
言い張る一郎、負けない次郎、加わる三郎、
四郎と五郎はそれを見ている。

 

引っ張りあって、やぶれたTシャツ。
怒る一郎、泣く次郎。
唖然とする三郎、
もはや興味をなくして福引のおばちゃんと話している四郎と五郎。

 

てんやわんやの大騒ぎ。
見かねた桶屋が差し出した、自慢の桶。
「あたりだコノヤロ、持ってけドロボー」

 

みんなでトボトボ帰る道。
帰ってわあわあ、おっかあに言ったら
おっかあ駆けてって桶屋に頭下げた。
一生懸命頭を下げても、お金受け取ってもらえなかった。
「ありゃ当たりだったんだ、買ったんじゃねぇ」
不器用に笑う男の横顔に、哀愁の銀歯がちらりと光る。

 

晩飯に
「Tシャツの代わりに桶…っていうのもねえ…」
と、おっとうはぼやいた。
後日みんなで買ってもらったそろいのTシャツ。
それからついでに、そろいの桶も。

 


風が吹いたら、儲かれ桶屋。

よかったよかった。
めでたしめでたし。

 

 


OK!Yeah! −ほぼ日刊イトイ新聞「風が吹けば、桶屋が儲かる。」